私 の カ メ ラ 遍 歴

 1.110カメラ

 父親がカメラ好きだったようで、私も物心ついた頃からカメラをいじくっていた。近所に住む祖父母やいとこを撮っていたことを何となく覚えている。『ヤシカ・エレクトロ35』が家にあったような記憶がある。初めて自分のカメラを持ったのは、小学生の時、大坂万博に行くときだったと思う。フィルムカートリッジをポンッと入れて撮る110型のカメラである。110型のカメラといえばコダックであるが、貧しい我が家ではとても買えない。コダックを安くまねしたような、聞いたこともないメーカーのおもちゃのようなカメラである。それでもうれしくてうれしくて、万博のパビリオンなどをいろいろ写したことを覚えている。私のカメラ遍歴のスタートである。

 2.ニコマート

 中学生から高校生の頃にかけて、我が家には『ニコマート』という一眼レフカメラがあった。確か50mmF2.0の標準レンズがついていたと思う。でかくて重いフル・マニュアル・カメラである。ニコンのカメラの普及機だと思う。一眼レフカメラであるが、交換レンズはなかった。きっと買えなかったのであろう。
 重いカメラを構えてピントを合わす。露出計を見ながら絞りリングを回す。そんな儀式をじっくり行ってシャッターを押す。“ガシャッ”と音がしてシャッターが切れる。「ああ、写真を撮っているな」という気持ちになれたものだ。
 高校2年の修学旅行の時ニコマートを借りていった。フィルムはフジだったかサクラだったか、とにかく安い方のネガフィルムである。おもに友人たちや風景・史跡などを撮影していた。班行動の時ある史跡で別の班と一緒になった。その班には憧れのクラスメートがいた。誰が言い出したのかわからないが、一緒に記念写真を撮ることになった。カメラマンはもちろん私。友人たちのうれしそうな表情と、その横に並ぶ彼女たちの素っ気ないような表情。画面の隅に彼女が写っているだけで私は満足であった。その写真はしばらく私の宝物になった。

 3.オリンパスOM−1、アサヒペンタックスMX・ME

 これらはあこがれのカメラであり、買えなかったカメラである。オリンパスOM−1が登場したときはショックを受けた。大きくて重いものが一眼レフカメラだと思っていたのが、小さくて高性能な一眼レフカメラがオリンパスからでたからである。オリンパスといえば『オリンパス・ペン』、ハーフサイズカメラである。そんなメーカーから一眼レフシステムが登場したのだ。「これなら私にも扱える!」、そう思って欲しくてたまらなかったが、とても買えるものではなかった。カタログを眺めてため息をつく日々であった。
 その後アサヒペンタックスから小型の一眼レフカメラ、アサヒペンタックスMXが登場した。しばらくした後に露出がオートのアサヒペンタックスMEがでた。これも欲しかった。スーパーマルチコーティングを施したタクマーレンズ、憧れの的であった。
 いつか自分のカメラ(一眼レフカメラ)を持つ、そう願ってやまない日々であった。

 4.ミノルタXD

 大学に入学した時、または成人の時、父がカメラを買ってくれた。とてもうれしかった。ついに自分専用のカメラを持てたのである。「どれがいい?」、父に聞かれて私は迷わずミノルタXDを選んだ。当時絞り優先AEかシャッタースピード優先AEか、どちらかのみしか使えなかったが、このミノルタXDは両方使える『両優先』のカメラだったからである。
 ミノルタのカメラはこのXDで初めて知った。ニコンなどと比べて知名度は低かったが、マイナー好きの私にはその方がよかった。レンズは『ロッコール』、六甲山のイメージでそれもまた好印象だった。今のレンズはネームがないものが多いが、やはり親しみやすい名前があるとよい。オリンパスが『ズイコー』の名を復活させたが、記号だけの名よりもよいと思う。
 ミノルタXDで旅行で風景や史跡を撮ったり、当時住んでいた京都の街を撮ったりした。祇園祭の山鉾巡行の時は、初めてリバーサル・フィルムを使ってみたりもした。その日は曇天だったので発色が悪く、せっかく奮発したのにがっかりしたことを覚えている。
 この後ミノルタはX−7で宮崎美子をCMに使い、大ブレイクする。そして衝撃のαシリーズ登場となる。

 5.アサヒペンタックスSFX

 ミノルタのαシリーズの登場で、一眼レフカメラもオートフォーカス化が進んだ。近視の私にとっては朗報だったが、まだカメラを買い換えることはできなかった。しかしそのチャンスはやっとやってきた。結婚してこどもが生まれることになったのである。「こどもはちょこまか動くから、今のカメラだと撮りづらいよ」、私はそれとなく奥さんを説得した。自分のためといえば許されないが、こどものためとなるとOKがでると思ったのである。作戦は見事に成功した。カメラを買い換えることにしたのである。
 そこで機種選びである。ミノルタのαシリーズは当然第1候補である。ただ売れすぎていた。マイナーからメジャーになっていたのである。へそ曲がりの私としてはもうひとつ踏ん切れなかった。そこで候補に挙がったのがペンタックスSFXである。オートフォーカスは当然として、ペンタ部分にストロボを内蔵した初めての一眼レフである。こどもを撮る時はストロボが便利だろうと思ったのだ。かつてペンタックスに憧れたこともあり、ミノルタよりもマイナーなペンタックスを買うことにした。今回は初めて望遠レンズも購入した。やっと一眼システムらしくなった。このカメラを使ってこどもを撮ったり、旅行写真を撮ったりした。
 そうこうしているうちに他メーカーは新しい機能を盛り込んだ一眼レフカメラを登場させていた。しかし残念ながらペンタックスはなかなか進化しない。だんだん他メーカーのカメラが欲しくなってきた。

 6.キャノンEOS55

 ペンタックスSFXはペンタックスのカメラとしては大きくて重い。新しいカメラが欲しいと思ってきた。そのときに気になったのがキャノンのカメラである。それまでキャノンのカメラには触れたことがなかった。何となく縁がなかったのである。EOS55の売りは『視線入力』であった。“見つめたところにピントが合う”、このキャッチコピーは私を虜にした。こんな便利なことがあろうかと。また超音波モーターを使ったレンズにも興味があった。先端技術のような感じがしたのである。
 何がきっかけかは忘れてしまったが、キャノンEOS55を買うことができた。ペンタックスSFXよりも軽くて扱いやすかった。視線入力はミスが多くてそのうち使わなくなったが、全体的に使いやすいカメラであった。そして交換レンズも購入した。はじめはTAMRONのAF28-200mm Super Zoom F/3.8-5.6 Aspherical XRである。常用域をほぼカバーしたズームレンズで旅行の時などに便利である。実際ヨーロッパ旅行の時は重宝した。そして次第にポートレイト撮影に興味が出てきたのである。それまで私はこども以外は風景などを撮っていた。それが物足りなくなってきたのである。撮影会というものがあることを知り、85mmレンズを買って撮影会に参加してみた。キャノンの大撮影会である。
 撮影会には多くのカメラマンが参加していた。みんなすごいカメラとレンズを持っていた。圧倒された。小さくなりながら遠慮がちにモデルさんを撮影した。ほとんど声も出せずに目線ももらえない。それでも楽しかった。また参加したいと思った。
 それから小遣いを貯めてレンズを買うようになった。中古のレンズも買ってみた。リバーサル・フィルムも使うようになった。キャノン以外の撮影会にも参加するようになった。いわゆる“業者系”の撮影会で、ブレイク前の小倉優子さんを撮ることもできた。もっといいカメラとレンズが欲しいと思うようになってきた。

 7.キャノンEOS−1V

 撮影会に参加するうちにもっといいカメラやレンズが欲しくなり、こつこつと貯金をするようになった。ある程度お金が貯まった頃、新しいカメラが欲しいと奥さんにお願いした。何とか資金援助の約束をもらい新しいカメラを買うことにした。今まで買ったレンズ資産を生かすとすればキャノンのカメラしかない。私としてはコンタックスが欲しかったのだが、コンタックスは何せ高い。レンズ1本がべらぼうな値段がする。とても無理だった。憧れは憧れとしてとっておくしかなかった。すると買うべきものはキャノンの最高級機である。ターゲットをEOS−1Vに絞り、安い店を探した。ネットで調べた安い店は在庫がなかった。仕方がないので次の候補三宝カメラに行った。ここでEOS−1Vが欲しいと言うと、なんと在庫切れ。キャノンはデジタル一眼に生産をシフトしているようであった。迂闊だった。とりあえず欲しいレンズEF70-200mm F2.8L IS USMを買い、また別の店を探すことにした。買いたい時に買わないとなくなってしまうような気がしたからだ。雑誌で調べた店に電話で確認すると、中野のフジヤカメラに在庫があった。ここは安くてよかったのだが、遠い。さらに調べると横浜の田中カメラにも在庫があった。フジヤカメラよりもやや高かったが、交通費と時間を考えると横浜の方がよい。さっそく田中カメラに足を運び購入することにした。とてもうれしかった。
 次の休日、娘をモデルにしてテスト撮影をした。シャッター音とフィルム巻き上げ音がすばらしくよい。「いいカメラを買ったなぁ」としみじみ思った。テストで大まかな露出の傾向を知り、撮影会に参加するようになった。それ以降交換レンズも少しずつ増えていった。Tokinaのレンズなどである。
 私がEOS−1Vに満足していた頃、撮影会ではデジタル一眼レフカメラが増えていった。当時のデジタル一眼はまだまだ高価であったが、みんなけっこう手にしていた。「ランニング・コストを考えると安いですよ」と言っていたが、私には手が出なかった。せっかく苦労して買ったEOS−1Vがもったいないという思いと、1枚1枚じっくり撮りたいという思いがあったからだ。それでもフィルムの現像代を考えずに撮っているカメラマンたちをうらやましく思っていた。私もそろそろと思い始めた頃EOS20Dが登場したのである。

 8.キャノンEOS20D

 キャノンからEOS10Dがでた時はショックであった。デジタル一眼レフカメラが無理すれば買える値段になってきたからである。撮影会に参加するとデジタル一眼が過半数を占めるようになっており、EOS10Dも多く見られるようになった。中にはEOS1DやEOS1Dsのようなプロ用高級機を持っている人もいた。
 EOS20Dが発売になったのは、私の心が揺れている時であった。「これなら買える」と思った私は、キャノンのセミナーなどに参加しEOS20Dに触れてみた。実に扱いやすく、撮った写真もきれいであった。また、参加したセミナーでは、私の撮った写真をモデルさんが選んでくれ賞品もいただいた。もうEOS20Dを買うしかないと思った。
 当時EOS20Dは爆発的に売れていて予約が必要だった。ヨドバシカメラで予約をすると10日ほどで入荷したとの連絡が来た。同時にSIGMAの交換レンズも購入した。
 今EOS20Dはメインカメラである。EOS−1Vの出番はほとんどない。EOS20Dにはほとんど不満はない。しばらくはハードウェアに金を使わずに、その分を撮影会などに回して楽しんでいきたい。そしてたまにはEOS−1Vをとりだして、フィルムの感触を楽しみたいと思う。